この人はどこまで考えて
その発言をしているのだろう
わたしは他人の話を聞いていると
共感や反感を抱くのではなく
思考の深度が気になってしまう
自分の思考力を自慢したいだとか
相手を見下しているとかではない
なぜそこまで気になるのか
自分でも不思議に思っている
思考は伝わらない
わたしの書いた文章を読んで
深く考えているなと思う人もいれば
そんなレベルかと思う人もいるだろう
しかし読者が読み取っている内容は
文章化された思考の中で理解できた情報
そんな断片たちを再構築したものである
読者の気持ちを考えなさいという
国語のテストに似ている
私の思考を深読みして評価していたり
文章力や読解力や環境の違いによって
認識がズレていたりするかもしれない
文章でも口頭でもイラストでも
思考を完璧に伝えるのは無理である
発信者としての価値
どれだけ思考が正確に伝わるかよりも
どれだけ有効な触媒になれるかというのが
発信者の価値になるのかもしれない
触媒としての価値を優先するなら
きっと極端な発言をしたほうがいい
共感されようが反感を買おうが
他人の感情を動かせた時点で
触媒としては有能なのだから
でも私はそれができないし
違う何かを求めている気がする
文章にして残す理由
正しく伝わらないと分かっていても
伝わるかもしれないという
希望を抱いていたいのかもしれない
共感者を求めているのではなく
孤独を恐れているのだと思う
共感で慰め合いをしたいのではなく
共感できる存在の可能性を残しておきたい
自分が死を迎えるときに抱えるであろう
伝達できない思考という孤独を
この希望が埋めてくれる気がする
だからこそ極端な言葉ではなく
誠実な思いを残したいのかもしれない
不器用な自分を少し理解できた気がする
