2026/03/19|乗り換えの不安は自分への期待

電車の乗り換えが必要だった

シートに腰掛けながら
次は何番線なのか何分発なのか
繰り返し確認してしまう

遊びに行くだけなのだから
乗り間違えても連絡をすればいい
友人だって心配しても怒りはしない

それでもソワソワして
落ち着かない気持ちになるのは
なぜだろうと不思議に思った

焦燥感の原因を考える

すこし考えてみたけれど
焦燥感を抱く原因が分からないので
心が落ち着いている状況を考えてみた

時間による制約がない
予想外の出来事が起きない
代替案や別の手段がある

これらを有していないときは不安になる

もう少し分解して考えていくと
自分の誠実さを保てる状態に
安心感を抱いている気がする

つまり私の○○するべきという意識が
焦燥感を生んでいるのかもしれない

期待や当然が不安になる

乗り換えを間違えるわけがない
約束の時間には到着しているべき
しっかりした人間でありたい

自分自身に求めている水準が
高くなりすぎているのだろう

当たり前に感じる事柄に対して
水準が高いと評価するのは変な気もするが
その当然の意識こそが自分を苦しめている

例えば自分は約束を守れない人間だと開き直る

乗り換えを間違えようが遅刻しようが
仕方ないよねと自分を慰められるので
過度な不安を抱かなくて済む

当たり前は人として当然の在り方ではなく
自分の理想像が反映されているのだと気付いた

心の余裕は自己受容

誠実であろうとする姿勢は持ちつつも
人間だから遅刻してしまうよねと
自分への期待値を下げるといいのだろう

他人に対して期待していないせいか
自分で何とかしよう自分はしっかりしようと
ひとりで抱え込んでいた気がする

ダメな自分も受け入れられるようになったら
もっと心に余裕ができそうだなと思う

私はこういう人間だからと公言して
免罪符で快適さを得ようとするのではなく
自分自身を許して生きやすくしていきたい