察して欲しいの成れの果て

パワハラやモラハラなど
ハラスメントが問題になっている

もちろんする方が悪いのだけれど
過剰に配慮する時代になってしまい
生き辛さが増している気がする

ハラスメントかどうかに関わらず
自分はこういう言動が嫌なんですと
相手に伝えるのが一番いい

それらを伝えられないような環境が問題であり
現在は既に克服されているようにも感じる

言わずとも理解してもらえるのが楽だから
察しろという流れになるのは仕方ないのだろう

不快な言動を指摘できるような関係性を築けず
または築こうともせずに
当然だよね察してねというのが現状

他人と関わらない方が安全だと感じてしまう

ネットの普及によって
リアルでの交流が減っているのに
さらに減るような状況

SNSで交流の機会は多くなっているが
繋がり自体は浅くなっていないだろうか

簡単に繋がって簡単に切れる関係

自分が成長や改善をするのではなく
自分と合わない人を排斥する方向で進み
最初から完璧に合う奇跡の存在を探す

お互いに歩み寄る姿勢がなければ
深い交流は生まれないと私は思っている

少なくとも私は相手に歩み寄れる人でありたい

歩み寄りが大事

人間は環境によって変わる

進学や就職や結婚などで環境が変われば
それに応じて考え方や生き方が変わる

ライフステージという言葉は好きではないが
人それぞれ人生の節目で変化が起きやすい

お互いの性格は少しずつ変わっていくのに
自然と歩幅が合うというのは稀である

歩きも走りも泳ぎも同じスピード
熱がでたりケガをしたり年齢を重ねたりしても
常に同じ速度で進んでいるなんてあり得ない

結局は気が合うと言っている人も
どちらかまたは双方が気を遣っているから
同じペースで歩けているのだと思う

ずっと一緒に過ごせる友人を作りたいなら
歩み寄りの姿勢がやはり大事だろう